とある恐怖症の経験譚
約5500字
はじめに
本記事の目的は,私の今までの経験を整理して残すことにある.
唾液恐怖症になったその日から,私がなにを感じながらどのように生きてきたのか,そして将来に対して感じている不安など,考えたことを綴っていく.
先に言っておくと,私は唾液恐怖症を克服できたわけではないし,将来自分が克服できるとも思っていない.
なので本記事は,現在症状に苦しんでいる人の助けにはならないだろうし,それを目指したものでもない.
とあるフォビア
唾液恐怖症とは、なにか。
人間は普段、無意識のうちに呼吸や瞬きをして生きている。
それと同じように、口の中に流れる唾液を無意識に嚥下している。
それが普通の人間であり、私も以前はそちら側の人間だった。
しかしそれが無意識のうちにできなくなり、意識しないと唾液を飲み込めなくなってしまったとき、それは起きた。
とにかく、音が気になってしまうのだ。
唾液を飲み込む際に「ゴクリ」という音がして、それが周りの人に聞こえてしまうことが怖い。恐ろしい。
なぜ、恐ろしいと思うのか。
友人に気持ち悪いと思われたくない、友人に唾液のことを意識させたくない。
そして、友人も私と同じように、無意識に唾液を飲み込むことができなくなってしまったら、どうしよう。
などなど、どれも私の勝手な被害妄想でしかないような気もするのだが、だからといってこの思いは、振り切ることができない。
くだらないと一笑に付されたこともあり、傷ついた日もあった。
この状態になってから今まで、私は自分の人生に絶望して自棄になったり、自分を追い詰めておかしな二次災害を引き起こしたりしてきた。
だがそれも、普通の人には全く理解できない感情なのだろうと思う。
あるときから私は、特定の条件下で無意識に唾液を飲み込むことができなくなった。
そして、唾液を飲む音を出さないために、口の中に唾液を溜めてしまうようになった。
しかし、口内の容積は無限ではない。
溜め続ければいつかは決壊するわけで、その前に飲み込まなければならないのは自明の理である。
私の場合、こうした状況は集団生活の場で往々にして起こり、特に学校の授業中に顕著に現れた。
静かな教室で、誰にも気づかれないように唾液を飲み込むため、私は授業以外のことに意識を集中されるようになっていった。
まとめると、
・唾液を無意識に飲み込めなくなる
・唾液を飲み込む音を出したくないため、口の中に唾液を溜めてしまう
・唾液のことばかりを考えるようになる
以上が、私にとっての唾液恐怖症である。
現在 大学4年生の生活
私は現在,大学4年生だ.
部活やサークルには所属せず,バイトもしていない.
バイトは単純に面倒だと思って応募せず,部活は惹かれるものが特になかった.
とにかく暇な時間が多いわけだが,趣味に時間を使っていれば,時間はあっという間に過ぎていく.
もう単位はほとんど取り終わっており,「最後の砦」である卒業研究に日々邁進している今日この頃である.
ゼミの集まりは週に一回.オンライン,またはゼミ室で行われる.
私としては,全日オンラインでやってほしいのが本音だ.
だって,わざわざ大学に行くのは面倒だし,電車賃はかかるし,唾が気になる.
ゼミ室では,円形の大きな机の周りに10人弱の学生と1人の教授が座る.
先に来た人から自由な席に座り,教授と軽く雑談を交わしながらゼミが始まる時間を待つ.
ゼミでは,研究の進捗を発表したり,今後の方針について教授と話し合ったりする.
発表は,10分くらいで終わるときもあれば15分以上かかるときもある.
人が発表している時間は苦痛だ.
ゼミ室は狭く静かで,人が密に集まった空間だ.
そういう空間で唾を気にするなって,無理だ.
私の場合,唾のことが意識になかったとしても,「そういう空間」に体を置くと,条件反射で唾が口の中にたまり始めてしまう.
唾がたまり始めたのに気づいたら,口がいっぱいになる前に唾をこまめに飲み込まないといけない.
でも,これが難しい.
手汗がびっしょりになりながら,音をできるだけ消して,一世一代の大勝負とばかりに唾を飲み込む.
90分あるゼミの中で,10分に1回は飲み込む.
つらい.でも仕方ない.
私の運命はすでに,唾液恐怖症と共にあるのだ.
始まりの中学2年生
始まりは,中学2年生の冬.1月か2月くらいだったと思う.
記憶はあいまいで,きっかけは覚えていない.
その頃は週をまたぐごとに,唾という存在が自分の中で大きくなっていったのを覚えている.
忍耐の中学3年生
授業
春になり,私は中学3年生になった.
症状は確実に,少しづつひどくなっていっていた.
6限まである授業の中で,唾を気にしなくて済むのは体育くらいだった.
なかでも,1番嫌いだったのが国語の授業だ.
席順に指名され,教科書の音読をしなくてはならない.
1人につき1段落,文章を読んでいく.
一歩,また一歩と自分の番が近づいてくると,冷や汗が背中を流れた.
自分の番が来る前に,口の中の唾を全部飲み込んでおかないといけない.
ただでさえ,誰かが音読しているときの教室は静かだ.
しかも,机は隣とぴったり合わせているから,隣の級友との距離が近い.
授業中の私は,教科書をめくる音に合わせてできるだけ静かに唾を飲み込むことを,常に考えるようになった.
そして,「授業よ早く終わってくれ」と,黒板の上にある時計ばかり見るようになった.
定期試験
でも,授業よりも辛いものがあった.
それは定期試験だ.
国語や理科であれば60分.数学に限っては90分も,静かな教室を耐え抜かなければならない.
私が唾液恐怖症になってから受けた初めての定期テストは,3年生の前期中間テストだった.
2日間に渡る試験が終わったとき,「こんな体験は二度とごめんだ」と私は思った.
それほどまでに辛かった.
テスト中の教室は授業中よりも静かで,誰もが耳を澄ましているかのように思えた.
私がゴクリと唾を飲み込んだら,絶対に誰かに気づかれてしまう.
そしてその人は私のことを気持ち悪がる,もしくはその人に唾液恐怖症が移ってしまう.
私は,そんな被害妄想のような思考に憑りつかれていた.
結局,私は試験中に一度も唾を飲み込むことができず,パンパンにたまった唾を噴き出してしまわないようにするのに必死だった.
卒業式
定期試験と同程度,もしくはそれ以上に辛いイベントが卒業式だった.
長い話を静かに聞く.歌を歌う.名前を呼ばれたら返事をする.
そういう式典に,唾液恐怖症は向いていない.
卒業式で最も印象に残っているのが,合唱のときの出来事だ.
3年生全員がステージに上がり,合唱する.
当然だが,合唱中は口を開けないといけない.
なので私は,唾が垂れてしまわないように,普段よりもこまめに唾を飲み込む必要があった.
私は,生徒がギチギチに敷き詰められた中で歌い,唾を何度も飲み込んだ.
そのときに喉から発せられる音は,隣の生徒にも聞こえたようだった.
次の瞬間,隣の生徒が唾を飲み込む音が,私の耳にはっきりと聞こえたのだ.
それは,周りの生徒にとっても同様のようだった.
また次の瞬間,違う生徒が大きな音をたてながら唾を飲み込み,さらに違う生徒も唾を飲み込んだ.
その流れがどこまで伝播したのかは定かではないが,少なくとも3,4人が音をたてて唾を飲み込んだのを覚えている.
適応と諦観の高校生時代
高校に進学した私は,わずかな期待と大きな絶望を抱えていた.
私は,唾液恐怖症が治ることを期待していたのだ.
強迫性障害の類は,自分を取り巻く環境の変化によって改善することがあると聞いていたので,通う学校が変われば,なにか変化があるのではないかと思ったのだ.
そして同時に,「そんな変化などどうせ起きないだろう」とも思っていた.
結論から言うと,高校生活の3年間で症状はなにも改善しなかった.
でも,色々な経験を経て,症状と上手に付き合う術を少しだけ身に付けることができた.
テストのとき
例えば,テストのとき.
口内にたまった唾を,上手に飲み込めるようになった.
意識する点は2つ.
1.たくさんたまる前に,こまめに飲み込むこと.具体的には,唾の量が口内の容積の1/4に達するまでには飲み込むべき.
2.テスト用紙をめくる際にわざと大きな音を出し,その音に紛れるようにして飲み込むこと.
私はこの2つを実践し,テストという修羅場を何度も乗り越えた.
そしてその結果,私の唾に対する意識も少し変化していた.
それまでは,
「唾を飲み込む音が周りに聞こえたらやばい.なにがなんでも音を消さないと」
という意識だったのが,
「まあ,飲み込む音が周りに聞こえちゃってもいいんじゃないか?いや,だめだよな...いや,まあちょっとくらいならいいかもしれない?」
というものに変化していた.
なぜそのような変化が起きたのか.
それは定かではない.
3年という月日と,その間の経験が私を変えたのだろう.
ただ,その領域に至るまでには失敗もたくさんあった.
一番記憶に残っているのが,「鼻から流れだした唾で問題用紙がびちょびちょになった事件」だ.
かなり意味不明な題名だが,文字通りの事件が2年生のときに発生した.
そのとき私は,60分間の試験の真っ最中だった.
時計と口内の唾の量を,こまめに確認しながらテストを解いていく.
試験が始まってから40分ほど経ったころ,私は問題を解き終わった.
飲み込むタイミングを逸した唾が口内にたまっていたが,テストは残り20分.
ならば,「残りの20分は唾を飲み込まずに口内に溜め,テストが終わってから飲み込めばいい.わざわざ唾を飲み込み,音を出してしまうようなリスクを冒す必要はないだろう.」と私は考えた.
しかし想定外だったのは,睡魔の存在だ.
花粉症の薬の副作用が,私を襲った.
私は睡魔に逆らうことができず,手の甲で口を抑えながら机に突っ伏した.
それまでの経験から,手の甲を強い力で唇に押し付けておけば,口から唾が溢れることはないと確信していた.
夢と現を行き来するなかで,意識は徐々に夢の中へといざなわれる.
私が心地よい微睡みに吸い込まれていく中,異変は起きていた.
ハッとそれに気付いたとき,私の意識は一気に覚醒した.
私の鼻から,尋常じゃない量の鼻水が流れ出ていたのだ.
それは問題用紙を浸食し,灰色の水たまりを形成しようとしていた.
私は確かに花粉症だが,いきなりこんな量の鼻水が流れてくることはありえない.
しかもこの鼻水,粘り気が皆無なため,鼻を啜っても流れを止めることができないのだ.
あわててポケットから出したティッシュで鼻と机を拭きながら,私はこの事件の原因を考えた.
答えはすぐに分かった.
鼻から流れ出た液体は鼻水ではなく,唾だ.
私が机に突っ伏していたとき,唾が口から鼻へと逆流したのだ.
状況を鑑みると,それしか考えられなかった.
結果として問題用紙はびちょびちょになってしまったが,回答用紙が無事だったのは奇跡というほかないだろう.
いやぁ本当に不幸中の幸いだった...
とはいえ,テスト中にそれだけわたわたしていれば,その姿を先生に見られていたとしてもおかしくないし,なんなら隣の席の友達には,「鼻水すごかったね」と後でボソッと言われた.
それが鼻を啜る音に対するリアクションだったのか,一部始終を横目で見ていての感想なのかはわからない.
それでも,例え誰かに見られていたとしても,それはもうどうにもできないことで,過去は変えられないのだ.
私は,持ち前の切り替えの早さですばやく気持ちを切り替えると,びしょびしょの問題用紙をグシャリと丸めてリュックに押し込み,次の科目の準備を始めた.
自暴自棄になったころ
1年生の秋には,自暴自棄になった.
改善しない症状に嫌気がさし,私の人生は終わったと思った.
定期試験の日程が迫っていたのに勉強は一切せず,1人でやたらと外出した.
家に帰ってくると,ネットで自〇の方法を調べた.
「こころの相談ダイアル」みたいな電話番号をたくさん見かけたが,かけてみる気持ちにはならなかった.
リストカットや失神ゲームにも手を出し,私の中の破滅願望は次第に大きくなっていった.
そのうち,私は自〇決行の日を決め,その日までひたすら無気力に過ごした.
そしてその日.
私は深夜の電車の中にいた.
最寄り駅から少し離れた駅で降りると,ホームで快速電車の通過を待った.
ホームのアナウンスが,電車の来訪を告げる.
私はリュックを地面に置き,自分の人生を終える決意を固めようとした.
しかし,できなかった.
結局,私にはそんな覚悟なんてなくて,死ぬこともできないことに絶望を感じた.
その後,私がどうやって立ち直ったのかは定かではない.
自〇願望はいつの間にか私の胸から消え去っていて,数日後,ボロボロだった試験の結果を見て,友達と一緒に笑っている私がいた.
自傷行為は,一時的に精神の安定をもたらすという.
自〇する間際まで自分を追い込んだことや,テストでひどい点数をとったことが,逆に私を救ってくれたのかもしれない.
そんなこんなで
私の高校生活は,上がったり下がったりしながら,なんだかんだで楽しいものだった.
相変わらず,授業中は唾のことをずっと意識していたし,唾がいっぱいに溜まった状態で友達に話しかけられて,すぐに返事ができずに変な感じになることもあった.
それでも,唾に苦しめられるというよりは,唾と「共生」していけるようになっていっていたと思う.
それだけ,3年間という歳月は長かったし,この記事では紹介しきれないほどに色々な経験をした.
・お腹がグーグー鳴ってしょうがないこと.
・精神科に行ってみたこと.
・映画館や図書館などの静かな場所は,誘われても断固として断っていたこと.
・修学旅行は相部屋で落ち着かず,水道を何往復もしてうがいしたこと.
などなど.実に色々なことがあった.
共生の大学生活
長い高校生活が終わると,私は大学生になった.
高校での3年間を経て唾液恐怖症との共生に慣れてきたとはいえ,それでもつらいものはつらい.
講義を受けるときは,人口密度が低い席に座るようにした.
自然と友達はほとんどできず,休日は家に籠るようになった.
所謂「充実した大学生活」とは真逆の生活を送るようになった私だったが,今の生活が楽しいし,自分に合っているとも思った.
人との関わりが減ったため,唾に苦しむ時間も減った.
だから3年の間で,特筆すべきエピソードがない.笑
今後もほどほどに
そして,今日も私は思う.
もう唾液恐怖症が改善する日はこないんだろうな,と.
中学2年の冬から,はや4年.
症状が改善するどころか,日常の一部になってしまった感じがある.
いや,もはやこれは,「自分の一部」なのだと思う.
多分これからも,嫌なことがあったり,落ち込んだりすることはあると思う.
なにかを諦めたり,なにかから逃げたりすることもあると思う.
でもそれは,唾液恐怖症じゃない人も同じだと思う.
私は,他の人とは違う「悩みの種」を1つ持っているだけなのだ.
みんな,なにかに苦しみながら,なにかを悩みながら生きている.
そういう人たちと私とは,そう変わらないと思う.
悩みを打ち明け,理解し合うことは難しい.
だからこそ私は,「悩んでいるのはあなただけではない」ことを伝えたかったのかもしれない.
リキまずに,これからも生きていきたい.
そんな感じ.
あーでも就職したら,さらに色々と辛いことがあるんだろうなぁ...
まあ,考えてもしょうがないよね.笑